原水爆禁止2014年世界大会に参加して

「核兵器のない平和で公正な世界のために」できること


 ヒロシマ・ナガサキへの原爆投下から69年目を迎えた夏。今年も原水爆禁止世界大会に県労連の組合員が参加しました。参加したお二人の方の感想を紹介します。

一人ひとりが主権者として活動を広げよう

 一昨年(2012年)8月6日の早朝5時半、ホテルから一人でジョギングに出た。広島平和祈念公園には、すでにそれぞれの願いを持った人々が溢れ、その熱気に圧倒された。普段はテレビの画面から流れる映像を見るだけだったこの日に、世界中からこれだけ多くの人が集まり、祈りを捧げているのだということを知った。あの時の感動が忘れられず、「なんとしても子どもたちに伝えたい」とずっと考えていたが、今回、大学生になったわが子2人と夫婦4人で参加することができた。

 今回の大会も、多くの若者の参加で活気に満ちていた。参加者総数は7千人。平和のたすきを若者につなぐ一助になったかと考えている。来年も多くの若者の参加を期待したい!

 今大会は、来年4月27日から始まるNPT(核不拡散)再検討会議に向けて意思統一を図り、署名活動に勢いをつけるためにも、大きな意味を持つ大会だった。「核抑止力」に固執する核兵器国や核兵器依存国の抵抗を受けながらも、核兵器の非人道性の問題を、唯一の被爆国である日本が先頭に立って訴えていくことこそが重要であることを強く確認することができた。

 国連の核兵器廃絶の決議案に対して、171対7という大多数の賛成が得られている今こそ、自分たち一人ひとりが主権者として活動を続けるために、署名活動にも全力を尽くしたいという思いを新たにした。


岐阜教組 井深晴夫

身近にいる人から声を広げることが、今私にできること

 岐阜県代表団として参加させて頂きました。到着した時の広島は、蒸し暑く今にも降り出しそうな空模様。夕方には本当に大雨が降り出し、広島の世界大会としては、なんと47年ぶりの大雨だったそうです。

 「69年前に、人類史上初の原子爆弾が投下され一瞬のうちに多くの人々の命と街並みが消え去ってしまいました。生き残った人々も終生にわたり心身をさいなまれ続けています。被爆者は辛く厳しい境遇を生き抜き、命あるうちに核兵器廃絶を見届けたいと願っています」という松井一実広島市長のメッセージにあるように、全世界から核をなくす、核兵器は『絶対悪』であると訴え続けなければならないということが、日本に生まれた私たちがすべきことだと思いました。

 2日目の分科会は「映像の広場」に参加しました。今、図書館や学校の図書室から撤去しようとする動きが起きて話題となっている「はだしのゲン」の上映をはじめ、ロシアのドキュメンタリー「不毛の地」「ブラジルの生きるヒバクシャ」を観ました。原爆はもちろん廃絶しなければならないが、原発に対してもこのままでいいものか?考えなければならないと思いました。「不毛の地」を制作したオレグ・ボドロフ氏は「広島・長崎の悲劇は、チェルノブイリの悲劇と同じである」と言っています。福島の悲劇は核技術の危険についてメッセージを発しています。

  この大会に参加して、世界中から核を廃絶しなければならないと強く考えました。8月6日の朝、平和記念公園で中学生記者の街頭インタビューを受けました。「今自分の感じていることを周囲にどう伝えますか?」問われ、私は「少しでも多くの人に署名などを通して訴えることです」と答えました。身近にいる人から声を広げることが、今私にできることだと感じて帰ってきました。


生協労連岐阜県協議会 古田やよい